ここでも何度かお話してますが
姪っ子は「聴覚障害児」です。

聴覚障害とはコミニケーション障害とも呼ばれます。

相手が何を言っているか分らない
自分の言いたいことを伝えられない

そして「音の刺激」が得られない事での障害というのもあります。

脳って不思議で、いろんな刺激で今の自分たちを作ってくれているんだそうで・・・

音の刺激がない分、知能への発達が遅れがちになりやすいらしく、聴覚障害児の親は子供たちに厳しい訓練をどうしても強いてしまうそうです。

つまり幼児がだんだん二語文とか話せるようになるのは、語りかけを自然に聞いて出てきたりしますけど
その「聞く」と言う作業が出来ない為、遅れてしまうのですね。

姪っ子は週に2回、聴覚障害児が通う施設に行っています。
そこでは、しっかり「お勉強」があります。

姪っ子は5歳児。
家のお嬢と同い年だけど、学年1つ下です

で、うちのお嬢より「ひらがな・カタカナ」を書けるし、読めます。

妹は本当はいっぱい遊ばせたいと言います
でも・・・
もしここで遊んでしまったら、将来一本立ちが難しくなるかもしれないと。

聴覚障害=聞こえないだけ
と言う判断はできないんですね

障害を持って生まれてくると
日本では、まだまだ偏見が多いです。

出来ること、出来ないこと。
そういうのが自然に分るようになりたいですね。

そうそう
だって皆さん、赤ちゃんがどれくらいで離乳食を食べるかってこと
赤ちゃんを産んでいない人は知らない人が多いのでは?

私ももちろん知りませんでしたよ。
そんなの学校じゃ教えてくれなかったと思うもの。
もし教えていても、全く興味がなかったから覚えてなかったかな?

出来ること・出来ないこと

それを大人が子供に自然に教えられる状況ならば
2歳児の乳児が泣かないって約束を守れないからって
たたかれて重体になることもなかったかもしれません。

そういったことが、きちんと自然に知っているようになれば
障害児だからって
聞こえないからって、豆っこ扱いされて
壊れたおもちゃをいつもまで回されなかったかもしれません

姪っ子は、今、また
聴力が下がってしまい、少しブルーのようです。
補聴器をつけていると、どうしても耳の負担が大きくなるそうです。
いつもより聞こえない・・

そのイライラは、大人だって同じでしょう。

出来ることと出来ないこと。
人は皆「通りすがりの人」たちなんだもの
伝えることが自然に出来るようになればいいなぁと
ちょっとそんな事を考えてしまうのでした。

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